各メディア、ニュースで取り上げられている通り、 Olivia Newton-John (オリビア・ニュートン=ジョン)が乳癌によってロサンゼルス現地8月8日に逝去されました。享年73歳。
ここでは70年代から80年代にかけて世界のカントリー・ポップミュージック、ミュージカル界のアイコンとして君臨した彼女の曲を振り返りながら追悼したいと思います。
イギリスのケンブリッジで生まれオーストラリアのメルボルンで育ち、父親はメルボルンの大学オーモンド・カレッジの校長、祖父はノーベル物理学賞を受賞したマックス・ボーンという名家出身。
テレビのタレント・コンテストなどでショービジネスへの進出のきっかけをつかみ、クリフ・リチャードのオープニングアクトなどを経て1971年ボブ・ディランのカバー『If Not For You』でイギリスデビュー。
1974年に『Let Me Be There』で本格的にアメリカへ進出し、見事グラミー賞の最優秀カントリー・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞するも閉鎖的なカントリーミュージック業界からは冷遇を受けることに。
それを察知してか(かどうかは分かりませんが)70年代後半からメインストリーム・ソフトロックやポップへと転身し、ジョン・トラボルタとのW主演映画『グリース』をはじめミュージカル映画の出演やカントリー・ポップとソフト・ロック、セクシーなアダルトコンテンポラリーシンガーとして、1981年から1982年にかけて10週にわたって1位を獲得した「フィジカル」を筆頭に、5枚のナンバー1シングルを含む15曲以上のトップ10ヒットを放ち、70年代から80年代のポップクイーンに君臨しました。
そんなポップクイーンの沢山の名曲がある中から追悼の10曲を選んでみました。
Olivia Newton-John : レビュー
If Not For You (1971)
オリビア・ニュートン=ジョンとしてのデビュー作。初々しいボブ・ディランのカバー。
Take Me Home, Country Roads (1973)
I Honestly Love You (1974)
巨匠デヴィッド・フォスタープロデュースによる自身初の全米No1ソング。MVは2010年のもの。
Have You Never Been Mellow (1975)
邦題『そよ風の誘惑』。日本での初めてのチャートインシングルとしてオリコンチャート26位を記録。
多くのCMでも使用されており、また、癒し効果があるのかコールセンターなどの保留時になぜかこの曲が流れることが多い日本におけるオリビアの超定番曲。
John Travolta & Olivia Newton John – Summer Nights (1978)
ジョン・トラボルタとの映画『グリース』からは数々のヒットナンバーが生まれました。
A Little More Love (1978)
1978年アルバム『Totaly Hot』より全米3位のヒット。この頃から大人のセクシーさを打ち出したアダルトコンテンポラリー色が強くなってきた気がします。
Xanadu (1980)
ミュージカル映画『ザナドゥ』の主題歌として全英1位、全米8位、日本では18位のヒットシングル。誰もが知っているサビにオリビアのセクシーな魅力が詰まったMVが◎
Physical (1981)
大人のセクシーアダルトコンテンポラリー路線の成果がこの曲に結実したオリビアの代表作にしてUSチャート10週連続No1のメガヒット作!
Twist of fate (1983)
邦題『運命のいたずら』、グリースに続きジョン・トラボルタとの共演映画『セカンド・チャンス』のサウンドトラック。
映画は大コケしましたが、曲はヒットし全米5位を記録。この曲がオリビアにとって結果的に最後のビルボードホット100チャートイン。
The Rumour (1988)
1988年アルバム『The Rumour』からのタイトルトラックはエルトン・ジョン制作。この時代を思わせる80年代ポップス。このアルバムは制作陣もかなり豪華でしたが商業的には低調な結果となり、90年代以降はコンサバティヴなポップ路線へと移行していくこととなります。
杏里 – オリビアを聴きながら
最後は番外編。オリビア=オリビアニュートン・ジョンのことですね。
Olivia Newton-John / オリビアを聴きながら追悼する名作10選でした。
こうやって振り返ってみると70年代のピュアなカントリーポップ路線から80年代のアダルトコンテンポラリー路線へと華麗に進化していく中で、名家出身の令嬢らしい透き通るような可憐なボーカルがずっと変わっていませんね。そこがオリビアですね。永遠に。